令和7年2月7日を俺は忘れることはない。
この日は父を医療保護入院させた日だからだ。
地獄を見た1ヶ月
アルコール依存は非常に恐ろしい。
真面目でしっかりしていた父があっという間に ”信じられない言動や行動” 繰り返すようになった。
この病気について知識がないと、確実に関係性が崩壊する。
母も精一杯勉強したが、心身の限界を超えていた。
失禁は当たり前、道ゆく人に暴言を吐く、キャッシングや借金など計り知れないほど嵩む。
それはまだいい。
何より一番辛いのは「会話が成立しない」「コミュニケーションが取れない」ということだった。
俺たち家族が声を掛ければ「うるせー!!」と反応し、何を言っても無意味。暖簾に腕押しだった。
病院側と調整し、7日に入院させる段取りをとってからは、毎日実家に行き、父との信頼関係の構築を目指した。
基本的に病院受診はシラフでなきゃいけない。
だが、そんなことができれば苦労はしない。
だから、前日の夜遅くに家に行き、酒を水で薄めたり、酒のあるリビングに居座って、お酒を飲めない環境を整えた。
酒を経って、9時間くらいが経過し、父の体調がおかしなった。
「暑い」「喉が痛い」と訴え、救急車を呼んで欲しいとのこと。
「そばにいてくれ」と俺に懇願してきた。
久しぶりに父と会話をした気がした。
今までは、何か声を発すると「うるせー!」と激昂し、会話不能だったからだ。
少しすると「酒を持ってきてくれ」と口にした。
当然毅然とした態度で断る。けど、決して見放しはしない。
何度も「酒だ」「酒を頼む」と言ってきたが、「今日は病院に受診するからダメでしょ」といいながら夜が明けるのを待つ。
号泣しながらの運転
7時ごろ、父の離脱症状は本格的になった。
手が震え、発汗しはじめた。
「救急車で今すぐ病院だ!!」本人はそう強く訴える。
誰がどう見ても、離脱症状だったが、素人判断は怖いので、「#7119」的なやつで救急車要請が必要かを看護師さんに電話で確認した。
「この時間に救急車を呼んでも診察まで時間がかかるから、かかりつけ医の方がいい」とのアドバイスをいただいて、父に伝えた。
当然、父は納得していない。
ややパニックになっていたので、水を飲ませ、背中を摩って落ち着かせようと試みた。
水を飲んだ。
驚きだ。酒以外のものを口にしたのはいつぶりだろうか。
かかりつけ医に診てもらえることになり、車で移動。
車に乗せる時も、両手をとり介護さながらで乗せた。
診察結果は何も問題なし。
そのまま、アルコールの病院へ向かった。
父には「診断書を書いてもらうには、アルコールの治療を受けている病院へ行かなきゃいけない」と説明して、納得させた。もちろん「入院なんかしないぞ」と言っていたが。
「少し楽になったありがとう」
父はいった。
「後で久しぶりにドライブがしたいな。」
俺は車を運転していたが、涙が止まらなくなった。
これから入院させるために病院に向かっている。当然、入院以外父を助ける方法はない。
しかし、やはり欺いている後ろめたさもあり、止めどなく涙が出てしまった。
ケースワーカーをしていた時のことを思い出した。
入院と悟られないように適当な話題を振り、車内を和やかな雰囲気にして病院に向かったものだ。
今回は実の父だ。
俺は号泣してしまった。
正直こんなことになるとは思っていなかった。
アルコール依存症は誰にでもなり得る危険な病気だということを痛感させられた。
入院が決まった時の父の顔が忘れられない
病院についた。
受付の人が「今日は入院でよろしいですか」と大きな声で言うもんだから、それを制して気付かれないようにした。
入院への説得など、時間がかかる診察になるため早くついても最後の診察になる。
診察の時が来た。
「どう?体調は!」
先生はいつも通りの様子で父に声をかけた
「大丈夫です」
父は答える。
「最後にお酒飲んだのはいつ?」
先生は聞く。
「1週間前・・・」
父は嘘をついた。
「違うよね。聞いている話と全く違いますよ」
先生は優しくもはっきりとした態度で父に確認した。
俺は全てを話した。
「○○さん。入院です」
先生はいった。
「勘弁してください。入院は嫌です。」
父は猛反発。
「いいえ、このままだと死んでしまいます。これは医師の判断です。」
父は俺の顔を見てこういった
「頼むよ。。。」
俺はしっかり父の背中をさすって「大丈夫だ」と何度も繰り返した。
先生が応援を呼ぶのを確認した。
俺は兄に母を連れて車に戻るように伝えた。
かなりショックな現場になるからだ。
医療保護入院というのは、患者の命を守るため患者の意思を問わず入院となる。
当然、患者は反発する。
その光景を嫌なほど見てきた。
母が父が”連行”されるような姿を見たらショックを受けてしまうだろうと思ったので、現場を離れるよう伝えた。
男性のスタッフが数人やってきた。
「入院だけは本当に勘弁してくれ、、、」
父は怯えるように俺に泣きついてきた。
俺は父に「病院の先生もスタッフも、当然俺もみんな味方だ。だから今、しっかり治療することが大事なんだよ」と説得をした。
説得をしながら泣いてしまった。ボロボロと涙が出てきた。
「勘弁してくれ」と言った時の父の絶望した顔を忘れられない。
「大丈夫。しっかり治療しましょう」
先生は父にしっかり伝えた。
父は諦めたのか、すんなり用意された車椅子に座り検査室に向かった。
・・・入院生活が始まった。
ひと段落、そしてこれから
とりあえず、地獄の毎日がひと段落しそうだ。
医療費がとんでもないことになりそうだが、父の健康が第一優先だ。
金は何とかする。
俺たち家族はアルコール依存という病気を勉強していかなくてはいけない。
断酒会や家族教室、AAなどにも参加する必要があるだろう。
そして傷ついた俺たちのケアも欠かしてはいけない。
これから始まる。
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