長かった……。
2月12日、父は強引に退院した。その瞬間から、俺たち家族にとっての悪夢が再開した。再飲酒が始まり、地獄のような毎日が戻ってきたのだ。
父がただ酔っているだけならまだいい。しかし、そうではない。他人への暴言、下品な言葉、理性を失った振る舞い——それらが俺たち家族の心を深くえぐり、四面楚歌の状況を生んだ。
キーパーソンとしての苦悩
家族の中で、俺は「キーパーソン」として立ち回らなければならなかった。CRAFTなどの書籍を読み、アルコール依存症の家族への対応を学び、実践する日々。しかし、それは俺自身の生活を大きく犠牲にするものだった。
本来ならば、TOEICの勉強に集中し、動画編集のスキルを高め、筋トレやデートも楽しみたかった。しかし、そんな時間はなかった。母に負担が及ばぬよう、自分の時間を削り、父の暴言や問題行動に対応する日々が続いた。
普段の父は穏やかで優しい。それなのに、アルコールが入るとまるで別人になる。幸いにも暴力こそなかったものの、容赦ない下ネタや他人への罵倒が飛び交う光景は、信じがたいものだった。
「あんなに優しかった父が、なぜ……?」
俺の中で、悲しさと「早く楽になりたい」という気持ちが交錯し、何も手につかない状態が続いた。
久里浜医療センターへの入院
そんな中、父が久里浜医療センターへの入院を了承した。
正直、驚いた。初めて医療保護入院をしたときは、自分が病気であることすら認めず、恨み言を並べるばかりだった。しかし、今回は違った。専門医の「久里浜へ行ってきな」という一言で、父は素直に「行く」と答えたのだ。
入院前日、家にあった酒をすべて処分し、父が飲めない環境を整えた。しかし、離脱症状はすさまじかった。手が震え、顔色も悪い。そんな父に「なぜ入院しようと思ったのか」と聞いてみた。
「自分じゃどうしようもならないから……」
その言葉に、父の心境の変化を感じた。アルコール依存症者にとって最も難しいのは、「アルコールの前では無力である」という事実を認めること。それを父自身が体感し、決断したのだろう。
もう一つの病気、肺気腫
入院後の検査で、父が肺気腫を患っていることも判明した。医師からは「このままでは寝たきりになる」と厳しい忠告を受けた。大好きなタバコも、今すぐやめなければならない。
こうして、父の入院は成功した。しかし、これで終わりではない。
家族の心の傷と、これからの戦い
この3ヶ月間、家族は傷ついた。母も、兄も、俺も。俺たちは、ただの「付き添い」ではなく、戦いの最前線にいた。そして、そのダメージは計り知れない。
これからは、父の治療だけでなく、家族のケアも必要になる。
俺たち家族は、この地獄のような経験を乗り越えて、新しい未来を作らなければならない。
ここからが、本当の戦いの始まりだ。
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