親父が入院して1ヶ月が経って感じたこと

2025年3月11日――

父が入院してから、ひと月あまりが過ぎた。

あの日、救われたのは父だけじゃなかった。

家族全員が、張りつめていた糸をようやく手放し、

「生き延びる」という最低限の希望にすがりついた瞬間だった。

父は現在63歳。

身体は少しずつではあるが確実に回復へと向かっている。

不安定だった表情に、うっすらと笑みが戻り、

医師の言葉に真剣に耳を傾ける姿が、信じられないほど頼もしく見えた。

そして何より驚いたのは、

かつて「俺は文字なんて大嫌いだ」と吐き捨てるように言っていた父が、

今では毎日欠かさず日記を書き、それを家族のLINEグループに送ってくれるようになったことだ。

今日食べたご飯の味、見舞いに来た母の様子、

窓の外に見えた小さな花の色まで――

簡素な言葉のなかに、父の「生きよう」という意思がにじんでいて、

それが何よりも胸に響いた。

「入院してよかったよ」

本人のその言葉が、どれだけ家族の救いになったことか。

あの頃はもう、誰かの一言でこの家族が崩れ去ってもおかしくなかった。

年が明けてからの日々は、まさに嵐だった。

突然荒れ狂う父、疲れ果てた母、

家中に飛び交う怒声、

ご近所への謝罪と説明に奔走する日々。

「どうか、今日こそ何も起きませんように」

そう祈りながら目覚める朝が、何度も何度もあった。

警察の車が家の前に止まったとき、

もうこれ以上、何も守れないと思った。

母の顔はこわばり、泣くことさえも忘れていた。

あのとき、心が壊れなかったのは、奇跡だったと思う。

母は今でもフラッシュバックに苦しんでいる。

寝入りばなに飛び起き、誰もいない廊下を見つめることもある。

それでも、母は前を向いている。

カウンセラーとの出会いが、母の心の再生に小さな道筋をつけてくれた。

きっと、俺も本当は必要なのだろう。

「家族のために自分はしっかりしなきゃ」

その思いに縛られて、自分の気持ちを置き去りにしてきた。

だけど今は、こうして言葉にすることが、その第一歩だと信じたい。

このブログには、俺たち家族の「激動」の記録を刻んでいく。

誰かに見せるためじゃない。

まずは、自分たちが確かに生きていた証として。

だけど、もしも――

もしもこのブログを、今まさに闇の中で苦しんでいる誰かが読んで、

少しでも「ひとりじゃない」と思ってくれたら、

それはきっと、何にも代えがたい意味を持つ。

人生はまだ終わっていない。

酒に溺れた父も、限界だった母も、戸惑う俺も。

みんな、まだ途中だ。

でもだからこそ、言いたい。

まだまだ終わってないぜ。