焦りの気持ち、取り残されている感じ

日経新聞を毎日読むようにしている。

32歳になって、初めて新聞を読むようになった。

なぜ日経を読むようになったのか。

そこに自分の考えから捻出した理由ない。

・・・。

「できる人間は日経を当たり前のように読みこなす」的なパワーセンテンスを目にし、経済も経営もよくわからない俺は日経を読むようになったというわけだ。

当然、全く意味がわからない。

「先物」「YCC」「公開株式買付」???

もう、何を言っているのか全く意味不明だ。

歯を食いしばって字面をなぞっていると、年下の人たちがAI分野で活躍しているだの、M&Aだの、学生時に起業して成功しただの、、、すごい人ばかりの記事が並んでいる。

俺は今まで何をしてきたんだろうと思うことがよくある。

野球が大好きだった学生時代、ギターにのめり込んだ学生〜社会人初期、

多趣味ではあるものの、壁にぶち当たってストップしているものが多い。

振り返ると、自分の頭で考えて結論を出すということの数が圧倒的に少ない。

ギターの上達がとまったとき、教則本を買い漁った。

そう、「答え」を求めていたのだ。

「何が原因で、うまくいかないのか。」

こういうことを徹底的に考えて、仮説を立てて練習してみる。ということをせず、安易に教則本をやり込めば上達するだろうと思考停止で過ごしていたな。

そういうツケが今、自分の人生に降りかかっているのだろう。

まあ、それはさておき

同世代やそれ以下が社会で活躍している。

俺もこのままぬくぬく安定したぬるま湯に使って老いていくのだけはごめんだ。

俺の力で、誰かを幸せにしたい。

直接的に人様の役に立ちたい。

そんな野望を持っている。

まずは自分の両親からだ。

必ず、家を建て替え、金に困らない生活を送らせてやる。

あー。

また意気込みだ。

でも、こうやって文字にするのは気持ちがスッとするな。

こういう「誰の役にも立たない」ブログってのもあっていいよな。

俺しか見ないし。

さあ、英語の勉強と日経を読むか。